剣道部の歴史

慶應義塾體育會剣道部の歴史

慶應義塾體育會剣道部は、慶應義塾の創設と共に始まった塾生有志の稽古を土台として明治11年に剣道会という名で正式に発足しました。 当時はまだ戦乱が相次いでいたため、塾生も勉学の合間に剣道で士気を養っていました。慶應義塾創設者である福沢諭吉も剣道を推奨し、自らも日常的に居合を実践していました。

明治25年に體育會が創設され、「剣道部」という名称になった時には既に部員は60名を超え、規則、部員幹事、指南役、部長を持った完全な組織として活動を行っていました。

創部と共に始まった剣道部大会に、明治32年には当時の東京府下にある各学校、警察署より参加者を募って相互交流を深めるなど、剣道界の主導的な役割を果たしてきました。

大正14年になると、以前より親交の深かった早稲田大学と正式な定期戦「早慶対抗剣道試合」を毎年秋に開催するようになりました。(詳細は早慶戦をご覧ください。)

昭和10年に日吉に道場が新設され学生の拠点が三田から日吉に移りました。

関東学生剣道連盟には、その結成と同時に加盟しました。高名な師範にご指導を頂き、日吉道場・綱町道場が相次いで改築されるなど恵まれた環境の下で、各部員が高い意識を持って毎日の稽古に励み、数多くの成績を残すことができています。

 

綱町道場が平成5年に建て替えられる以前に用いられた柱の一部と床下に埋められていた甕が綱町道場に、また当時の師範室扉格子は衝立に仕立て直して日吉・綱町両道場に現在も保存されています。

 

 旧道場の柱

 旧師範室扉格子

 尚武之甕

尚武之甕の由来

この甕は明治37年に三田綱町柔剣道場が建設された折柔道場・剣道場の床下に夫々2個づつ向かい合わせて多数埋められていたもので平成3年12月11日に旧道場が取り壊わされる際掘り出されたが原型を留めたものが2個あり、これはその1つで実に90有余年の長さに亘って裂帛の気合と床の響を納め続け床下からこの歴史を一身に見守りつづけてくれた記念の甕です